現代対立してにらみ合うUFO研究者と科学者
 最近まで火の玉を研究し発表され有名となった火の玉博士と、たま出版の二代目の社長はテレビの討論会でコテンパンにやられ通しで見ていられない。
 初代のたま出版の瓜谷社長は宗教という字を嫌って、自ら精神世界と表現された。

 その火の玉博士も科学をどこまで知られているのだろうか?
 最小単位、つまり物質の最小単位の素粒子は対消滅対発生する。ある個所で消滅した瞬間、全く別の個所に対発生しているし、電子も時速200キロで走る電子が減速のカーブなしでいきなり100キロに減速するが、見かけ値とか場の理論等で逃げずはっきりと論破してほしい。

 人類が知る一番早いものは光で、ある惑星は200万光年の彼方と位置を測定するが、光よりもっと早いものは素粒子の対消滅対発生は瞬間絶対速度ではなかろうか。
 さらには、それを追い越すメカニックはタイムトンネルであり、過去にも未来にも移行するが、是非ともそのメカニックを科学者は明らかにしてほしい。

 アナログのブラウン管では、電子銃で電子を発射した瞬間に光に変わり、プリズム帯で基本七色が更に細かく分類されて微妙な色彩を創りだす。スリット帯で反転してブラウン管の壁面に画面として投射されるが、少しでもプリズムがずれると肌色が青白い幽霊の顔に変身するが、このメカニックが肉もって生きる人間と死んだ霊の区別ではないのだろうか ?
 こうした諸問題について、明確な論理で火の玉博士が論破してくれることを強く望みます。

 いずれのものも最小単位では物理の理論を超えるのは何故なのか?この問題も合わせて説明をお願いします。

 ただし、この問題は火の玉博士に抗議しているのではなく、素人の私は私なりに成程と納得したいだけなのです。

 火の玉は単なる火球現象に過ぎないのだろうか
 火の玉博士は科学の実験で火の玉を創りだし、単なる科学現象にすぎないと発表したが果たしてそうなのだろうか。
 今の町は家々に外灯がともりネオンはそこここに輝き、漆黒の闇は本当に少なくなったが、昔の町並みは夜の1 0時ともなると家々は帳を下ろし、門燈だけがまばらに点灯するだけで静寂と深い闇が町を包む。

 この話は昭和1 5~1 6年頃の実話です。当時私の家は東区玉堀町と仁丹工場の間にありました。私の家の南西に沢辺というアイスキャンデー屋があり、その家の小屋根あたりから東北に位置するコンヨという酒屋さんと、山下という呉服屋の間に入って人魂が消えたがその事実には多くの目撃者がいた。

 その後、間もなく山下さんの奥様が日生病院で亡くなったと御主人からお聞きしたが、それも単なる噂話で済まされるものだろうか。
 私はその頃、軍需産業に携わらぬ者には徴用という制度があり、私はそれを恐れて森ノ宮にあった砲兵工廠、第二製造所五旋に所属していた。そこにはドイツから潜水艦で運んできたカールハッセという超高速の自動旋盤があり、驚異的な性能で他の旋盤の二十倍のスピードで一発の弾丸を製造する能力をもっていた。

 私と仲間の湯浅はさぼりやで、特に夜勤には工場の屋根に設置した火の見櫓に登ってさぼっていたが、一晩に二十以上の人魂に遭遇した経験をもっている。
 人魂の大きさは人間の背丈ぐらいあり、色は青味に黄色を加えたような色をしていて、火の見櫓から見ると人魂は水平に飛んでくる。「湯浅、この人魂でタバコの火がつくかためしてみるか?」と、飛んでくる人魂に対してタバコをかざしてまっていると、5 0センチ程手前で消え、5 0センチを過ぎて再びあらわれて過ぎ去っていく。
 人魂の後尾はささくれたように千切れ、昔の恐竜映画の特撮のように微妙にゆらいでいる。

 大砲や銃があっても弾や砲弾がなければ撃つことはできず、武器輸送路を断たれて戦死した兵達の亡霊が、小銃や機関銃の弾や機関砲や大砲の弾丸を求めてさ迷うかのように私には思えた。

 


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