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新黙示録    瀬川 宗一

主は云われる。
私はアルパでありオメガである。初めであり終わりである。終わりであり初めである。それは古き世と新しき世の入れ替わりであり、神の御国の到来である。

主は云われる。
誰も新しく生まれ替わらなければ神の国を見ることはできない。そして神の国の到来を間近に控えて、その住民となるための、くびきという選別が行われる。それがハルマゲドンである。そのため民は大いなる艱難の刻を迎える。人は絶対絶命に立たされるとき、偽りのない本性を現すからであり、それが、くびきという選別である。

主は云われる。
天国と地獄はどこで見分けるか。天国も地獄もその地に
なんら変わりはなく、変わっているのはその国の住人の
心である。したがって我々が望むなら今すぐにも、この
地を天国にすることは可能であり、パラダイスにすること
ができる。

しかし、そのためには主が云われるように、狭き門から
入らなければならない。
狭き門。それは重き荷を負うといわれた欲望の衣を脱ぎ、
一切の苦厄の原因である自己中心的な思いや考えを捨て
なければ入れない門である。

私一人がそうしたとして、全体にどれほどの影響があるかと、
今あなた方はそのように思われているに違いない。

そのことについて主は云われる。
ピーポロはπの法則なり。一人の愛は常に3.14倍、すなわち
円周上に拡がるといわれる。もし一家の中の一人が変われば、
一家が変われば向う三軒両隣りが変わり、その連鎖的な拡がりの
中で社会が国家が、世界全体が変わっていくことを知りなさい。

宇宙からデルホール(谷の穴)と呼ばれる現象世界に住む人々よ。
今、あなた方が住むその地は進化のための大きな変動の過程にある。従って自然界も大きな変化を次々と見せ、高まる人類の業と重なって、只でさえ無明をかこつ人類自らががんじがらめとなり、親と子が、人と人が、国と国が対立して相争い、人を救うべき思想、宗教までもが対立と闘争を繰り返し、人類は物事の真偽も見分けられなくなり、絶体絶命の窮地に追いこまれるだろう。

人を含めたすべての業がウミとなって一斉に吹き出し、矛盾が対立を呼び、不信が疑惑を生み、思惑や利害をからませて、本音と建前が入り混じり、混乱が心を助長させ、心より知恵や知識が優先し、知力、権力、暴力、武力といった力が社会や世界を支配し、生命の意義を知らない徒党が増えて、多くの人々が血の代償を払わなければならないだろう。

その昔、アブラハムはあなたに向かってこう言いました。
主よ、あなたにとって私は塵、灰に過ぎませんが、あえて我が主に申し上げます。
ソドムとゴモラの人々の罰は重くとも、あなたは正しい者と悪い者とを一緒に滅ぼされるのですか。あの所に50人の正しい者があっても、あなたは尚その所を滅ぼされるのですか。主よ、もし30人、いや10人の心正しいもののために滅ぼさないでほしいと言ったアブラハムに誓われたことを今、私に誓われよ。

(新黙示録より抜粋 瀬川 宗一)

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