ホーム »目次 »我聞10 佐々木鉄夫の精進

佐々木鉄夫の精進  

佐々木鉄夫という人がいた。私の弟子でした。

この人は市場商人のところで働いていた。
うちへ初めて来たときは、いろいろな話をしても、フン、といった感じで何の反応もなかった。ところが一年たってからまたやって来た。その時は病気になっていた。

「先生、俺な、高血圧性腎臓病やねん、最悪いったら透析せんとあかんねん、正法精進したら治るんか?」
「心がけひとつやな」
「考えとくわ」 と 言って帰っていった。
横柄なものの言い方でした。ひとつ間違えば一生透析を受けて暮らすようになる、と医者から宣告されていた。

それから一週間ほどして、またやって来た。
「先生、正法を教えておくんなさい、俺する! やる限り命がけでするからな」。私はまず反省を教えた。
そして言われるままに一生懸命反省をはじめた。反省会は全部参加し、法座も全部来ていた。
自分はいずれ市場商人になろうと思って300万ほど持っていた。それを資本金にして来ていた。始末して使って、私を信じ、賭けたんです。

佐々木君は何故ぐれたのか?

それは、佐々木君のお母さんは佐々木君を連れ子として、今のお父さんと結婚したのです。ところが自分はそれを知らなかった。そのお父さんは自分と嫁さんとの間にできた弟だけは可愛がりよる。僕には邪険にしよる。僕は年上やから怒りよるんや、いじめよるんや。弟は下やから可愛がりよるんや、と思っていた。
ところが小学4年生のとき、村の心無い人が 「あのお父さん、お前の本当のお父さん違うがな、お前はお母さんの連れ子や!」 と言われた。
「そうか! それやから俺にこんなことしやがるんか!」 それからは、ぐれて、ぐれて、ぐれて、村でも悪さをし、中学校を卒業したらすぐに神戸に出ていった。

暴走族の元祖のかみなり族の総長をし、爆音あげて走りまわり、金貸し屋の取立て、暴力団のチンピラ、いろいろやっていた。およそ神仏とは縁遠い人生を歩んでいた。

はじめは反省しても反省になっていなかった。
ところがある日、しんどいけれど淡輪の法座へいってみようか。神戸から和歌山の淡輪まで出かけた。
法座が終り帰るときに、そこの法座主さんが孫を抱いて 「帰るんかぁ?気つけてかえんないよ、また来ないよぉ」 といわれて、「ああ、来てよかった」。 そう思いながら駅にむかって歩いていたら、右側に”愛の学園”という施設がある。
そこの横を通っていくとき突然、法座主さんの笑顔、自分の母親の顔がふたつボンとでてきた。法座主さんの顔は幸せを絵にかいたようなニコニコ顔で、自分の母親の顔は心配そうな涙顔が見えた。

そのとき 「うちの母親のこの顔は、俺が作った!」 とはじめて気がついた。そうなったら涙が出て、出て、出て、ものすごい涙です。自分が暴走族やったり、ヤクザ者やったり、借金の取立て屋したりしていたとき、いつも田舎から俺が出てくるときは、さびしそうな、かなしそうな顔して見送ってくれた母親。

淡輪の駅でもかっこ悪くて、立っていられなくてトイレに入り、泣いて泣いて二電車も三電車も遅らせた。それでも涙が止まらない。売店で新聞を買って顔を隠して難波まできた。またトイレに入り泣いた。ほうほうの態で神戸のアパートに帰った。
それは丁度そのときに、佐々木君の仏としての本質(仏性)に触れたからでした。
そこから一晩、母親について父親についての自分、兄弟としての自分、恩ある人々に対して徹底的に調べていった。
丁度その後が須磨の法座でした。そのときに 「先生、やっと反省の要つかんだ。こうこう・・でした」。
「佐々木、お前、これ忘れたらあかんで、これがお前にとって重要なことやから忘れるな!」 と指導した。それから本格的に反省をしていった。

不思議なことにドンドン高血圧性腎臓病が治っていくんです。本当のことをやっているからです。魂に刻んでやっているからです。彼は須磨の日赤の医者の診察は受けていたが、自分の考えで一切の薬は飲まず、心の復活と平行して高められる体の自然治癒力で、見事に病いを癒していった。
医者も看護婦も不思議がり、「何かやってるの?」。 「僕はいま反省してるねん、親を親とも思わんかった、人を人とも思わんかった・・随分反省させられた」。 「そんなことで病気が治るかいな」 と看護婦に言われたが、本当に良くなっていった。そして退院してもいいといわれた。

正法の凄さに魅かれ、もう娑婆に戻りたくなかった。もっと正法を勉強したかった。そのうち反省道場洗心庵の庵主さんが 「うちで手伝ってくれるか?」といわれて畑仕事や雑務の手伝いをしていた。
ある日、庵主さんが銀行の通帳と判を佐々木君に預けた。「○○円出してきてか!」。「はい!」 外へ出て人のいないところでワァーと声をあげて泣いた。人に恐れられ嫌われ、疑われることがあっても、この庵主さんのように人に信用されたことがなかった。はじめて人間に信用されたんです。どれだけ嬉しかったか。
それからは使ったことのない敬語を慣れないままに使いはじめた。言葉を直そうとしていた。

ある日、佐々木君を呼んだ。
「佐々木君、君は紛れもなく阿闍梨の道をふんでいる。人助けもせんと自分だけが悟る阿闍梨の行をしていたら、その場合は悟ったら死ぬけどかまわないのか?」
「かまいません、自分を磨くこと一生懸命します」

ある日でした、夜遅くに単車で帰っていたら、トラックの運転手が道に迷っていた。

「兄ちゃん、○○へ行くのにはどの道行ったらいい?」
ここからは教えにくい道だったから、「僕についておいで」 わかるとこまで単車で先導してあげて、「この道をまっすぐに行きや」
運転手さんはとてもお喜んで、「兄ちゃん、本当にありがとう、助かった、これ少ないけどコーヒーでも飲んで」 とお金を渡そうとしたが、「あんたはこれからもっと走らなあかん、あんたが飲み」 といって受け取らなかった。運転手は何度も何度も頭を下げて行った。

佐々木君はこの清々しいいい気持の間に、田舎の親父のところへ帰って百姓仕事を手伝ってやろうと思って急に郷里へ帰った。田舎から戻ってきたら、 「先生、何か釈然としない、すっきりしない、何ででしょう?」
「よく聞きなさい。君がトラックの運転手の道案内をしたときは無償でやったな。ところが郷里の親の手伝いを十したら、親は二十返そうとしなかったか? 親に二十尽くしたら、四十返そうとしなかったか? だから釈然としないんや。親とはそういうものや。 しかし、それすらも気がつかん奴がおる。それが解かるということは、君の正法精進の結果で、すばらしいことなんだ」 と彼の疑問に答えた。

また佐々木君はこうも言った。
「よう考えたら、うちの親父は般若心経や!」
「どういう意味か?」。
さぁ今日も早く起きて、親父の仕事を手伝ってやろうと思ったら、親父は鎌を研いでました。「早く行こうや」。言うたら、「いや今日は雨が降るんや」。きっちり雨が降ってきました。
この受身の智恵、内在された智恵、親父は持っているから般若心経やと言った。

「虫も、般若心経や」 親父と一緒に畑仕事をやっていると、いきなり虫がいなくなった。雨が降ってきた。虫は葉の裏にかくれていた。環境にみな順応した受身の智恵です。宇宙と通じる智恵をもってるのは人間じゃなくて、うちの親父と虫たちだった。

その佐々木君が一月に来て 、「生駒の断食道場へ行ってもいいですか?」といった。
そして二ヶ月の断食行を終え帰って来て、報告があった。
「私は断食道場で普通の人の食事の三分の一を食べ、毎日山道を十キロ歩いていた。普通の人間は私の三倍食べている。そしたら三十キロ歩かないとあきません。普通の人は大食して動かんと、食物を毒にして病気していることがよくわかります」 といった。

いまひとつは、「先生、ぼくは生駒で断食やっていた。空気のきれいなところでいたやろ。神戸への帰路に大阪まで来て、人ごみに入ると頭がクラクラするんです。何でこんなに頭がクラクラするのかなぁと心を静めてみると、何と人びとの心から発する邪念という、人間の吐く毒気です。人間なんて汚い毒を吐いている。それに当てられてクラクラした」。
「そうだろう。空気のきれいなところへ行ったら、人間社会の人間というのは、汚い毒気いっぱい噴いているのがよくわかるだろう?」

そして、「禅定をやっていたら、巻物が見えてきましたがあれは本まものですか?」。 「本まものや!」 というとワアーと泣きだした。
「巻物の初めに、何年何月何日、佐々木鉄夫生と書いてあり、最後に何年何月何日、佐々木鉄夫没、とありました。そこに意識を集中すると私は去年死んでいるのがわかりました。
しかし、神さんが見るに見かねて最後まで行をしなさいと命をつないで下さっているんですね、有り難いことや」 と泣いた。

「しかもその巻物には、消えている箇所と消えてない箇所があった。死ぬまでに消し残りがあったら、それを来世に勉強するんですね?消えたところは修行がすんでいるんですね」

「わかったか。誰でもこのように消しこめてない部分を、来世に運命の中に仕込まれて、人生が形作られるんだよ。今世のうちに消しこめるだけ消し込めば、来世はもっと輝かしいものになるから、君もできるだけ精進しなさい」 と励ました。

うちは一年に一回総合法座があった。そこへ郷里の両親をよんでいた。佐々木君は演壇でいろいろのお話をして最後に、「お父さん、お母さん、思い違いばっかりしてごめんなさい」 と素直に謝った。

だんだん反省が進んでいった。どこまでやったのか。とうとう2歳まできた。0歳になったら終わりです。
来たなぁ・・・いよいよ死が近づいたなぁと私は思った。
「先生、2歳1歳でも人間ですよ、虫けらと違いますよ、1歳は1歳の智恵をいっぱい使って生きてますよ」 というて泣いた。

いよいよ死が近づいた。
佐々木君はある日、人に言っていた。「僕、今回の修行は失敗したみたいや」。何故か? 不思議と正法の女の人のところばかりに行くのです。それは独り者であろうが、人の嫁さんであろうが関係なしです。まわりの人にいらぬ疑心をおこさせます。

8月に須磨の法座があったが、いつも来る佐々木君が来ていません。講演会の話をすすめていたら警察から電話がかかってきた。「佐々木鉄夫さんがホテルで死にました」。

夏の高校野球のテレビが見たくて、ホテルに泊まっていた。その足であくる日の須磨の法座に行くつもりだったのだ。
チェックアウトの時間を延ばしてテレビを見ていた。ホテルの掃除の方がドアを開けてのぞくとテレビを見ていた。次に行って見てもまだ同じ格好でテレビを見ている。中に入ってみると、片足をズボンに突っ込んで、笑ってテレビをみた姿のまま死んでいた。神仏のお計らいであった。
そこのホテルは総合法座のときに、両親を郷里から呼んで泊めたホテルだった。

遺留品の整理のため、佐々木君のアパートにいった。ぼろぼろのアパートでした。しかも部屋にはわずかな衣類と法座のテープ、小さいちゃぶ台、ダンボールの箱だけだった。ここで死んでいたら誰にも見つけられず腐っていたかも知れないようなところでした。片付けをしていたら、母親を受取人にした生命保険があった。あれだけ始末した生活の中で、母親にあてた保険をきっちりかけていたのです。
主人の手前、佐々木君をよう可愛がらずにきた母親。このお金ををどんな気持ちで受け取るのだろうか、と思った。

佐々木君が死んだその晩、個人指導中に私の部屋の柱の前に、紺色の作務衣を着て座りよった。「佐々木、何しに来たんや、お前の親たちは通夜をやっとるやないか。あっちへ行って、ご供養を受けて来い」 というと頭をさげて消えた。

そのあくる日です。
その日の個人指導には、本当に霊が見える霊能者の方が来ていた。そこへ深編み笠で墨染めの衣で雲水姿の佐々木君が立っているのです。錫杖をもって、数珠をもって、しゃがんでわらじの紐をギュッとしめていた。そしてスッと立ち上がりこっちを見て、黙ったまま数珠をもった手で僕に頭をさげ、テレパシーで 「先生、長い間のご指導、本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます」 そして、右をむいてスタ、スタ、スタと歩いていった。

ところが、その前を見てびっくりしたんです。
透きとおるような慈母観音が、赤ちゃん抱いた観音さんです。
佐々木君を先導しておられた。

その姿を見たとたん私は、「わかったぞぉ~、佐々木! お前の疑いは俺が晴らしてやる! 女子(おなご)いうても色々や。女の母性の部分、セックスの対象としての部分、いろいろ持っている。しかしお前は、大きくなる時に母親の愛をひとつもようもらわんと。それを慈母観音は哀れに思って導いたのや。正法のグループの女の人一人一人から、母性の愛をいっぱいもらったんやな。そして、それを満たしたんやな。助平で女の人についていたのと違うわなぁ!言うてやるから」 と私はいった。

そして、その話を法座で皆にしました。
「疑わんといてやってくれ。正法の女の人から母性の愛をもらうために、正法の女の人にばかりについていた。母親からいただけなかった母性をもらって、もらって、もらって満たして帰りよった。
先導していたのは慈母観音やった。慈母観音が指導していたのです。

ところがその後すぐに反省研修会があった。いみじくも、その裏返しを見たのです。
佐々木君に母性をあげた人たちが、「先生ごめんなさい。反省する気持ちになられへんのです、ごめんなさい。心の真ん中に穴があいて、冷たい風が吹き抜けるんです。ごめんなさい」。 これは正に子供を死なした母親の心境でした。皆、自分の母性を与えたがために、佐々木君の死は自分の心の真ん中に穴が空いたんです。そこから空しい風が吹きぬけ、反省どころではなかったのです。

佐々木君が最後のころに何をいうたのか。
「先生、息をしてるって素晴らしいことなんや!」。「そうや!」。一切を超越して、一呼吸一呼吸のなかで味わわさせていただく世界を佐々木君は感得したのです。

出会ってわずか2~3年間の、すごい正法精進の往生成仏でした。
39歳の夏でした。

 

 佐々木鉄夫君が亡くなってから12年後の命日の頃に。

有難う 感謝します

わが歩み来し闇は 光を知るため

わが犯せし罪は 仏を知るため

故にこそ 師にまみえしあとは 仏の精進怠らず

師のあとを慕って あまねく法座を巡り

自らを知らんために 内観を欠かさず

ただ ひたすらに 光の道を求めて

多くの縁生の人びとに助けられ 師に導かれ

久遠の世界に旅立ち 感謝の念 いまだ止まず

彼岸の彼方にあって 人びとの冥福を祈らん

合掌    佐々木 鉄夫

   Top    目次    我聞より    愛のひびき    終の時刻を迎えて