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和歌山 施無畏寺・清右衛門の因縁

1985-2-10  駒川

 今年の2月3日で正法を説かしていただいて丁度10年です。
不思議なことに正月の3日にふだん夢を全然みたことありませんのに、夢を見たんです。
高橋信次先生が白の線の入ったトレーニングウエェアを着て現われてこられて、ボクを見るなり「心だよ、心を教えてやってくれ」といわれた。
そこからいろいろな正法10年にわたる反省をやっていたんです。私の正法は間違えてなかっただろうか。本当に間違いなく人さんを指導できただろうか。そのように反省を積み重ねておりました。

 正法というものは、見える世界と見えない世界を説いています。したがって非常に難しい。
お聞きになる人によっては、見えない世界(霊界)ばかりに興味をもっていかれて、見える世界(現実)の運命というものを、おろそかにやってしまわれる。かといって見えない世界を無視して、正法というものは成立しません。この10年を反省していきますと、何か霊的な面だけを追っていかれる人が多くなっているんです。
ものが見えてる、聞こえてくる、その中で異言を喋っていく。
ただそれだけに自分の興味の対象をつくってしまって、肝心要の自分自体の心の修養というものを怠りがちになっている。

 そういうことに一縷の懸念をもってましたら、先週の土曜日に豊中の法座がありました。そこへ行ったときに言葉をピシャッと止められてしまいました。それはむこうから教えてくれないと喋れないんです。非常に困りました。急遽、仕方がないので、何か疑問がありましたら質問してください、に切り替えました。
ところがその後に、正法をやっておられる方はご存知のファイシン・ファイ・シンフォーという方が再び現われてきて、自分自体の修行の道をずーと今、私のなかに次々と教えてくださっている。高橋信次先生のご著書にものっている中国の僧です。信次先生はこのシンフォーのことについては深くおっしゃっていませんが、シンフォーによって深い悟りの道に入られてるんです。

 和歌山 施無畏寺にゆかりの清右衛門の因縁の話
 実は今月の末に紀州へいきます。
今度の講演会はいつもと違って、有名な由緒あるお寺、施無畏寺(せむいじ)で行われます。そのお寺からは、たくさんの高僧や名僧がでています。
その施無畏寺の本堂で講演することになりました。それは施無畏寺が始まって以来、お坊さんでない方がその本堂で説法するのは私が初めてなんです。

 施無畏寺というのは非常に私に因縁があります。
といいますのは、施無畏寺を菩提寺とする、Sさん夫妻がおられます。
その方の息子さんは中学生のころから凶暴性で、餓鬼のような食欲をもつ精神異常の子供やったんです。それであちこちの霊能者や宗教や拝み屋さんに行っても治らない。ある宗教へ行ったときも、ものすごく暴れて難儀し、「連れて帰ってくれ!」といわれた。女や普通の男では力がつよくて手におえないのです。仕方ないのですぐに精神病院へ連れていった。そのためにSさんは一身代をほって子供に入れあげたんですが治らない、途方にくれておられた。

 私がその老夫婦に出会ったころは、その奥さんは心臓が悪くて、いつ発作がおきてもおかしくない状態で、夫に手を引いてもらってやってこられたほどでした。ところが私の法話を聴いている間に、心臓がいつのまにか治ってしまった。これは不思議や、ということで相談に来られた。
「実は、うちにはこんな息子があります。どうにもなりません。どうしてこんなんでしょうか?」
これは三代前にすごい因縁をつくっているから、それを調べてみなさい。といいました。次のようなことがわかってきた。

 祖父の代に、祖父の兄で清右衛門という方がおられた。
清右衛門の先祖は代々の庄屋で、明恵上人の修行された和歌山の施無畏寺のゆかりも深く、堂の内に屋敷を立てるほどの親しい間柄だった。
ところが、織田信長の命で、施無意寺や根来寺の焼き討ちを仰せつかり、拒否すれば一族にも難がおよぶので仕方なく村人を呼び集め、施無畏寺を焼き討ちしたが、その火で僧侶三人が焼死し、残った僧たちは難をのがれて、ぼたんの長谷寺と他京都に一寺をつくったという。
それからその家に代々、何か頭のおかしい子が生まれてくる。
お定まりで、そこの息子さんが凶暴性の大食らいです。

 三代前の清右衛門さんの時代にも、たった一人しかいない女の子が精神病で座敷牢に入れていた。そして当主の清右衛門が病気が重くなった時に自分の弟をよんで「お前は私の弟やから、わしがもし死んだらこの家屋敷、田地田畑、全部やる。しかし、頼みがある。座敷牢にいる娘の面倒みてくれな!」と涙こぼしてたのんだ。そして死んでいった。

 しかし、財産引き継ぎや雑事にとり紛れて、気がついたときはその娘を餓死させてしまっていた。それが息子さんに影響がでてしまって、ものすごく暴れるんですね。それは清右衛門さんの恨みや怒りなんです。病院の息子が、もっていったものを全部むしゃぶりついて食べるのは、餓死した娘のせいだったのです。

 私は夫妻に「四天王寺で清右衛門さんの月一回の永代供養をやってみなさい」といいました。これが一昨年です。四天王寺へ老夫婦がお願いにいき、開眼法要する日が決まった。すると不思議なことに、わからないはずの病院の息子が「その日はどうしても用事があるから病院から出してほしい」といったという。
 開眼法要がすんだあと差し入れを持っていくと、いつも全部食べていたのに普通の量しか食べられなくなり、「お父さん、こんなにたくさん持ってきてもらっても食べられないから、お父さんもちょっと食べてほしい」というようになった。
それからしばらくして「お父さん、なぜかこの頃、頭に光がいっぱい入ってくる」といいだした。
ところがまだ一歩、すっきりしないんですね。完全じゃないんです。
「先生、何か息子が金のことばかり言うんです」 「そしたらなぁ、人に布施しなさい」私の言葉に従って布施をするようになったら、金のか、も言わなくなった。まだ一歩や、そう思って思案しました。

 今度は私が清右衛門さんのために30分のテープをつくり、これを一度問題の施無畏寺で、和歌山におられる親戚中が全部よって、清右衛門さんの法要の際にかけるように指示しました。
やがて親戚一同が集まった。ご住職が「私のお経を先に上げさしてもらいましょか?それとも瀬川先生のテープを先に聞かせてもらいましょか?」
皆で相談の上、「まず、ご住職さんからのお経から」ということでお経をあげてもらい、その後に私のテープを本堂の中でかけた。

 そのとたん、本堂がバリバリと音をたて揺れだし、建具は動く、怖くて怖くて、やがて天井までバシバシと音がしておさまった。たまりかねて親戚の人が転がるように外に飛び出すと、外は平和で何もない。
 清右衛門さんは有名な悪霊です。あきらかに霊的現象でした。家に帰るとSさんにNさんという女性から電話がかかってきた。二言三言喋っているうち男の声にかわり、「よくやった。お前たちには負けた。子供から離れて天に帰る」といわれたそうだ。それで全部の因縁がとれたんです。

 Sさんは念のためにと思って息子さんのところにいくと、病気は治っているんです。清右衛門さんの呪縛がとれたんです。「お父さん、お母さんには感謝してます」
しかし、小さい時からそんな病院に入ってますから社会には出られない。病院のお手伝いして暮らします。ということになった。

 その後、老夫婦は家の仏壇でもテープをかけた。ところが、いつの間にか瀬川先生が「清右衛門さん!」と呼びかけるテープの声のうしろに「ハイッ」と清右衛門さんの返事の声が入っていた。

 こういう仏縁の中で今度、「施無畏寺の本堂で法を説いてください」ということになりました。施無畏寺は代々、高僧名僧が現れて、死んでいった由緒の寺です。そしたら、その僧たちが皆、私の話を聞きにきます。お弟子さんと称する人たちも、その人はどれだけの修行をした人か、と思ってまた聞きにきます。また境内に葬られている子々孫々にいたる有縁無縁の霊たちも皆集まってきます。
したがって、村人は50人ぐらい集まられるけれども、霊としては何百何千かもわからない。

 きのうも田中先生がうちへ来られた。「田中先生、心ちゃんとしときなさいよ。そんなもの霊だから、すぐ心を見抜いてしまうぞ。葛藤の懸念、少しででももっていたら、すぐやられてしまうぞ。寄って来るのがすごいのばかりだから」と。私も言いました。
私もこの施無畏寺で法を説く。大きな試みの中に私自身がひとつの関門をくぐるんやと思っています。

 その時にファイシン・ファイ・シンフォーが、私にしきりに自分の生涯というものを教えて来たんです。高橋信次先生はシンフォーさんのことを言われても、シンフォーさんの生涯はお説きになっていません。
 シンフォーさんがお生まれになったのは約1200年前、この時に長安という都に青龍寺という寺があった。
 当時の中国は唐といい、仏教の爛熟期にあって新しい宗教と旧い宗教が交代していく時期だった。

 (この続きは上記のファイシン・ファイ・シンフォーより)

 

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