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韓国映画  達磨はなぜ東へ行ったのか 1989年作品 解説

「達磨はなぜ東へ行ったのか」は、山奥の小さな寺に暮らす年老いた禅の師、出家したばかりの若い僧、そして身寄りのない幼い少年三人の日々の生活を、美しく厳しい自然をとおして、静かに描いた作品である。
1989年のグランプリをはじめ5つの賞に輝いた。

青年キボンは、目の見えない母親と妹を町に置き去りにして出家し、真の自由を求めて山寺にやってくる。
人里離れたこの寺を守る灯台のような存在である老禅師ヘゴクは、鍵となる言葉を口にする一方、幼い少年ヘジンは、ある日つがいの鳥の片方を過って殺したことにより、死の恐れと生の不思議さに目覚めはじめるが、やがて、この2人は老禅師の死をきっかけに、それぞれが悟りへの一歩を踏み出すことになる。

監督のペ・ヨンジュンは1981年パリに留学中に「達磨はなぜ東へ行ったのか」の製作のインスピレーションを得て、シナリオを書き始めた。撮影に3年、編集に1年半以上かけて完成に至る。
監督、脚本、製作、撮影、美術、編集を一人で受け持つというこの驚異的な処女作を生み出した。

「今日の韓国が日本と同じく西洋の圧倒的な影響を受け、多くの面で源泉ともいうべき思想から遠ざかりつつある状況の中、また物質文明の混沌とした社会の中で、伝統文化に対する郷愁を覚えたことから、精神的世界へ回帰する欲求が強まった。このような状況は、精神的な故郷を離れて旅行している人間にたとえられるでしょう。人は故郷から離れるほど、郷愁というものが強くなります。このようなことが、私が映画を作った背景だと思います」

「個人的なことですが、私の思春期は非常に苦痛に満ちたものでした。そして、大学時代に初めて、東洋の宗教や思想に目覚めました。西欧化しつつある社会の中で育って、ようやく東洋的なものに目覚めたわけです」

「私が映画の題名を公案から引用したのは、この映画全体が公案のような役割を果たしてほしいという願いからでした。そして、知識を超えた問いかけによって、観客に瞑想の世界を体験してほしかったのです。私はこの映画を観念的に理解してほしいとは思っていません。ただ、見た人たちが情緒と感情をもって直接、体験してほしいのです。それが、禅の世界で真理を授受する方法です」と監督は語っている。

この作品は、六世紀に達磨大師がインドから中国へと渡来したことの意味を問う禅問答の公案、”祖師西来意”(達磨大師が西方から来たわけ)をふまえたタイトルを持っており、三人の主人公の模索の過程や、さまざまに変化する自然の対話のうちにこそ求めるものがあるのではないか、と静かに語りかけている。

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