ホーム »目次 »我聞23 天の計らい 洗心庵にて

1988-10-8  洗心庵にて  

それはもう既に、私の母親を成仏させてからでした。
自分が真理を知りたい、真理を知りたいと思っていた時でした。
真っ白な法衣を着た人が現れて来て「私が今からいうことを書き記しなさい」 すると口は動くけれども声はないのです。ところが心へパーン、パーンと入ってきて解かってくるのです。そのときにその方はモーセやということがよくわかった。

天の計らい
今から約2600年前、東洋の地に現れた釈迦と名乗る宇宙からの使者は、人は知恵により、知恵は探究心を原動力として、自己を悟りの彼岸に誘い導くであろう、と人々に教えて世を去った。

ついで、それから約600年経ったあと、中東の地に現れた宇宙の使者ヨシュア我々はイエス・キリストと呼ぶ宇宙の使者は、人や人の住む世界の調和と繁栄は、愛の領域の拡大にある、と説いて遠い宇宙へ旅立っていった。

そしてその言葉には、人間を真の幸せに導く宇宙の叡智が輝いている。
そして人よ。あなた方は彼らの語る宇宙の言葉を真に理解することによって、物質と生命に関するすべてを知ることが可能となる。知ることによってあなた方は真の自由を獲得するだろう。

大宇宙大自然は、人々が考えつく全ての矛盾と不可能とを調和せしめて、そこに整然とした秩序を形造っている。

彼ら、宇宙の使者たちは、それを法、あるいは真理、あるいは道と呼んで、それぞれがそれに従いなさい、と人々に呼びかけてきた。
およそ人の人たる所以は、自我という卵の殻に自身を閉ざし、卵の殻の外に展開する広大な真実の世界を知ることがない。

そこで東洋に現れた使者釈迦はいう。
自我なる、また執着なる卵の殻を破り真実の世界に目覚めよ。

また中東に現れた使者イエスはいう。
愛は知恵を超え、知恵は愛によって完全となる。人々の心に喜びと感動と希望の光を与え、あなた方は自身の身の内外に、よりよき理想郷を創り出そうと自身を超えて努力するだろう。だから愛に目覚めなさい。愛こそあなた方の内なる真理である。愛こそ宇宙の内なる真理である。
愛に生きるとき、あなた方は真の自由を得るだろう。

しかし、愛が小さく自己の上に止まって未だ熟さず、自我なる卵の殻を打ち破る知恵もない人々にとって、その言葉の響きは空しく、宇宙からの言葉は再び宇宙に帰っていった。

愛が小さく自己の上にとどまり、ひたすらに自己の欲望や快楽を追う人々の知恵によって、次第に開発されてきた物質文明は、今や人類を繁栄と滅亡の岐路にたたせ、物質に酔った人々の心はついに真実の自己を見失い、哀れにも肉に光をもたらすため、愚かにも心の闇を歩かせている。

自己愛のゆえに起こす、すべての思いと行為が、敵と味方をつくって相争わせている。人をも我をも苦しみの海に投げ入れている。
人よ、今がその眼覚めの時である。肉の空しさに目覚める時である。霊なる自身に目覚める時である。

初めに宇宙の意志があった。意志は宇宙の心と共にあった。意志は心であった。この宇宙の意志は、初めに宇宙の心とともにあった。
すべてのものはこれによって出来た。生きたもののうち、ひとつとしてこれによらないものはなかった。この意志にはエネルギーという力があった。この力は人々の生命となった。生命は肉体のなかに輝いている。そして肉はこれに勝たなかった。とキリストは説く。

なれば肉体の支配者は生命であり、生命と不二一体である心であり、意志である。同時にそれを総括して、霊と呼ぶ。

さらには、初めにあり、今にあり、未来永劫にある、宇宙の意志と心を、あなた方は神と呼んでいる。なればこそ神の意志と心によって創造されたあなた方は、神の意志とこころの表現である。神の愛の結晶である。その関係は親子の絆で結ばれている。従って人よ、あなた方は紛れもなき神の子である。

それは「光あれ」といわれて天地が開かれて以来、神は形なき命をつくり、これに真理を与えて天に帰属せしめ、形なき命をつくり、あるいは形ある物質を創造し、原因と結果、作用と反作用の物理の法則を与えて天に従属せしめた。魂は帰属させ、肉体は従属させた。

なればこそ、あなた方の住むこの地こそ、あなた方に与えた天の心の表れであり、あなた方はこの地で自己を磨き、愛に目覚めて自己を確立し、その果て知れぬ繰り返しの中で肉の性を超え、自己の内なるキリストに目覚めるであろう。

このように、循環という法則の中で、永遠なる宇宙と共にあり活動する、霊なるあなた自身に目覚めなさい。
肉に溺れ、世に惑い、欲に盲しいて、この世に生きる刹那という時間帯の中でさ迷える魂となってはいけない。親なる神と縁を切って、宇宙の孤児となってはいけない。
霊なるあなた自身の神性を汚してはならない。
苦しみに負けるな。悲しみに負けるな。むしろ運命の厳しい試練の中にこそ、育てのための神の真実の愛が輝いている。

また、死を恐れるな。肉に死が訪れようともあなた方は永遠である。
むしろ心の死を恐れなさい。心の死には救いがない。そして心の死とは、愛のない心をいう。
愛や思いやりのない心は、心の死である。たとえこの世に肉をもって生きる人も愛のない人は亡者である。そして亡者はその名のとおり、肉とともに滅びるであろう。

   Top    目次    我聞より    愛のひびき    終の時刻を迎えて