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天上界を見る

( 瀬川宗一先生の著書 "霊示"より )

私は正法の教えに従って精進に精進を重ねた結果、ついに〈実在界〉(あの世)の招待を受けた。当時、私は妻と二人で深夜まで禅定に耽っていたが、ある夜、禅定をしながら、自分が不思議な世界にいることに気づいた。

切り立った塔の屋根と同じ位置の、しかも空間に私は浮いている。
私には肉体がないのに、浮いているのは確かに私なのである。
空は雲ひとつない薄いブルー、その宙天に白磁色で周囲が青みがかった、まるで氷の塊のような太陽が輝いている。その太陽光を反射して塔の屋根は、黄金色のまばゆいばかりのオーラに包まれている。なんという素晴らしい光景。

しばし呆然と見とれていた私は、やがて我に返り、下に降りたいと思うと、(見えない)身体が静かに降下する。
塔は渡り廊下に直結し、寺院のような本堂につながっていて、すべてが黄金づくり。太陽に乱反射して、不可思議光と記された仏教の経典そのままの光景である。
私が廊下に上がりたいと思うと、自然に身体が浮き上がったが、そのとき、ちょっとバランスが崩れ、廊下の手すりの柱の上にある擬宝珠の先端で掌をチクリと突いてしまった。
廊下に上がると、目の前に緋色の衣を着、金襴の袈裟をかけた赤ら顔で精悍な感じのするお坊さんがいた。

彼に会った途端に、彼の名が ファイシン・ファイ・シンフォーという名の中国の僧侶であることがわかった。
彼は黙したままテレパシーで私に語りかける。
「この本堂の中に入ってみますか」
本堂は一間半ほどの入り口があり、入り口すぐ左に直径一メートルほどの黄金づくりの蓮華の花が見え、中は黄金のガスが渦巻き、時々ピカピカとまばゆいばかりの光が走り、この世のいかなる建造物も及ぶべくもない荘厳さだった。

「それでは、あなたが還るところを見ておきますか」
ファイシン・ファイ・シンフォーの言葉に私がうなずくと、周りの光景は一変した。

現れたのはキリスト教に見られるような教会だった。
屋根瓦は透明な色とりどりの瓦で葺かれ、中からの光で屋根の上は幽玄としか言いようのない美しさだ。屋根中央に立つ等身大の黄金の十字架が印象的だった。
内部は私たちの子供時代の学校そっくりな木の机と椅子とが整然と並べられていた。左側には直径四メートルほどの青を基調としたステンドグラスの窓があり、祭壇右の奥に、白髪長身の外人が立っていた。

彼の名はモーセ。モーセは私に親しげに語りかけてきた。
「よく来られました。私はあなたを長い間待っていました。あなたに地上界に持ち帰っていただくものがあります」
「それは何ですか?」
「私が地上にいたとき、神から託された十戒です。これをぜひ地上界に持ち帰り、人々に伝えてください」
「十戒なら、すでに地上の人は知っていますよ」
「いいえ違います。この十戒は人々を新しい世に導くためにぜひ必要なものです。だからあなたの心にインプットしておきます。あなたがやがて地上で目覚めるとき、この十戒は必ずあなたの心の真ん中から井戸に湧く水のように湧現してくるはずです。頑張ってください。期待しています」
彼に別れを告げると、私はすぐに我に返った。

「夢か、幻か、それにしても不思議なものを見た」
と心の中でつぶやいた。
「そうだ。渡り廊下で、擬宝珠の先端で掌を突いた!」
と思い出し、おもわず掌を見た。なんと驚いたことに、掌にマッチ棒の先ほどの金の粒がついているではないか。
私は「あっ!」と驚きの声を上げた。
その声で禅定中の妻が、我に返った。
見ると、妻の掌にも同じく金粉がついていた。まるで金粉の上に掌を押し当てたように、掌全体がキラキラと輝いていた。
異次元の世界が、真実を私に示すために奇跡を起こしてくれたのだ。

その後、私はたびたび天上界の招待を受けて秘密のベールの奥をのぞかせていただき、実在界(あの世)の実態や構造を解き明かしていった。
そして私は天啓により、天上界のモーセから、「十戒」に代わる「新十戒」を託された。これを広め、教え導くことがこの世での私の使命であるとはっきり自覚していた。

そして、恩師、高橋信次先生が著書の中にも書いておられる、なぜワン・ツー・スリーという名を借りたモーセやファイシン・ファイ・シンフォーに導かれたのかの謎も解けていった。

実在界(あの世)は、球体の本体(太陽)と環(霊界)から成り立っている。
太陽界の中心には真正にして神聖なる霊太陽が存在し、両極には愛を司る教会と慈悲を司る寺院が存在する。
私が天に招待を受けたとき、太陽界にはモーセとファイシン・ファイ・シンフォーしかおられなかった。私は教会と寺院で、それぞれの光の大指導霊であるモーセとファイシン・ファイ・シンフォーに会い、貴重な対話の機会を得た

「正逆、正逆と各段階光に分かれ、最も遠く、最も近く、すべてを含んで神はギッチョですね」と。
「そんな質問をすると信次先生に叱られるよ」とM氏の周辺は止めたようだが、それでも彼はその講演会で私の質問をあえてしてくれた。
そして覚えておられる方もあると思われるが、先生はすぐさま「そのとおり!」と答えられた。
ある日、私はまたM氏に言った。
「先生は今度、"私はエル・ランチャである"と名乗られるよ」
M氏は、「それはどういう意味か?」と聞き返した。
「<ドン・キホーテ>の中にランチャという人物がいる。彼が常に奇想天外なことを真顔でするように、信次先生も私たちにとっては天のさまざまな奇跡を行われるが、地上的には奇想天外なこととして受け取られるという意味であり、先生の天上界の名がそうなのだよ」
と、私がM氏に語ってから三ヶ月目に、先生は「私はエル・ランティである」と名乗られた。

また、高橋信次先生は死を間近にして、太陽系霊団のこと"高次元世界の仕組み"を解き明かされた。
その仕組みが発表されたとき、天はすかさず私に「これはテレビのブラウン管の原理である」と教えた。しかし、この私の説を当時肯定された方はいなかった。
後日、高橋信次先生と懇意にされていた上田先生といわれる方が、信次先生を見舞った際に先生から「実は私が発表した高次元世界の仕組みは、テレビのブラウン管の原理なのだよ」と明かされたと聞いた。

私に霊道が開けてから、それを録音しておいたテープは、GLAの中谷本部長を通じて、高橋信次先生のもとに届けられていた。
霊道現象を、次の大阪の講演会(昭和五十年)で公開するようにとのお達しが、信次先生からあった。
そしてその講演会に私はM氏とともに参加し、霊道実験で壇上に上がらせていただいた。
信次先生は、右手を私にかざして語りかける。
「ウエスパラリヤ、リヤスワシア!(あなたの内在した偉大な智慧の門を開きなさい)」
私は自分の開いた国の言葉で答える。
「僕はイスラエル語は苦手なんだ。興和(信次先生の弟さん)、来なさい」と、私には不思議でならない。
信次先生は必死で私に問いかける。
「あなたは日本語で答えてください。あなたはヤコブを知っていますか。アンデレを知っていますか。あなたは何者ですか」
私の守護霊は私に命じる。
「あなたは今、日本語で話してはならない。大変なことになる」
私は、もともと古代イスラエル語(ヘブル語)など習ったこともなく、知るはずもない。にもかかわらず、私は自分の言っていることを理解していた。そして、信次先生にその言葉がわからないことが不思議でならなかったのだ。
心の中で信次先生に謝りながら、私はついに日本語では答えなかった。確かに私は先生には嫌な思いをさせた。しかし私情ではない。
当時、なぜ"大変なことになる"のか私にはわからなかった。

しかし、今日ならそれを明らかにすることができる。私はこの件の後に、私と信次先生との役目の違いを理解するに至ったのである。
そして信次先生は、約束の日に天上界に還っていかれた。私は恩師を失うとともに、自分に課せられた任務をやり遂げることになった。先生が亡くなるまで一切、法は説かないことが、先生との約束であり、先生の命令でもあったのだ。

「私が信次先生の前で発した"異言"についてだが、こういうことを誰でも簡単に成し得ると考えていただくわけにはいかない。それは大変に困る。GLAの中で、初期にこの"異言"についての混乱があった。感情の昂ぶった人が、"異言"に似た言葉にならない言葉を話すことがあるし、事実があった。それを、霊道を開き神とコンタクトして出てきた"異言"と一視同仁にした。」

「私自身は、正法に触れる前の一年余り、早朝から深夜まで夜を日に継いでの反省三昧の中で、自分の業と対決し、打ち勝ってきたのだ。
インドの『バガバッド・ギータ』のなかに『自己の最大の味方は自己なり、自己の最大の敵は自己なり』という言葉がある。
過去から持ち込み、現世においても生きてきた年月の中で、積み重ねてしまった業は、意識して徹底的に叩かなければ取り除けないものである。こうした行いなしに感情的に発せられる"異言"は本人自身がその意味を理解していないはずである。
またその人が感情的に昂ぶりの状態にいるのか、心が仏となっているのかどうかも、しっかりと見極めなければならない。」

「真の霊道とは、異言を喋ることではなく、神の道筋をととのえ、神の道をまっすぐにすることであり、その道筋を通って般若の智慧が湧現するものである。
したがって、真の霊道が開けるとき、真理や法則は一度に解けて何もかもが明白になってくる。なぜなら、いかなる真理も法則も、宇宙の愛と慈悲からなる心によって構成されているからである。」

「大阪講演会で、講演後、私はスピーカーで信次先生の呼び出しをうけた。
私はM氏と彼の友人である霊能者の川下さんと共に、信次先生の控え室に入った。
その部屋の正面に信次先生、向かって右に関西本部の中谷本部長、園頭先生(正法会を主宰)、左に高橋興和先生(弟)、アナンと呼ばれる京都の先生がおられた。
高橋信次先生は私にいきなり異言で言われた。」

「このたびは、八正道で世の人々を救うべく使命をもって私は法を説いている。だからあなたは私が生きている限り法は説かないでほしい」
私も異言で答えた。
「先生、よくわかっています。私は先生のご存命中は絶対に法は説きません」
こう申し上げたのだが、高橋信次先生はどう思われたのか、今度は日本語でもう一度同じことを言われた。」

話の後で私は先生に、「私もファイシン・ファイ・シンフォーに会いました」と言うと、先生は、「どんな姿をしていましたか」と言われるので、「僧侶の姿で会いました」と答えた。
「何を言ってるんだ。彼はイエスの分身だよ。そのイエスの分身がどうしてそんな坊主の格好をしているんですか」と言われるので私は苦笑していた。
すると高橋信次先生はすぐさま天に上がられ、「すまん。彼は中国の僧だったね」とおっしゃった。
「先生、そうですよ。彼は広東省の生れで、先生のように北京語は苦手な方です」と申し上げ、「先生、イエスのセプティン・ドライブをどうお考えですか」と言うと、先生は「もういいから帰りなさい」と言われた。
その帰りの道すがら天から声があった。

「信次先生はこの十二月二十四日に天に還られる」
M氏にそのことを話したが、その日が来ても先生は無事だった。
ところが、その翌年一月の講演会で、信次先生は自らこう言われた。
「僕は本当は十二月二十四日に天に還らなければならなかったが、五年のばしてもらったのです」
私はまた、M氏に言った。
「天の計算と地上の計算は違うから、先生の五年は五ヶ月のことだよ」
高橋信次先生は、ご自身の予言どおり、昭和五十一年六月、満四十八歳で天に還られた。先生が亡くなるまで一切法は説かないことが、私と先生との約束事であり、先生の命令でもあったのだ。

私は恩師を失うとともに、自分に課せられた任務をやり遂げることになった。
私は天啓により、天上界のモーセから、「十戒」に代わる「新十戒」を託された。(これは "霊示" "人類よ何処へ行く" "真理の言魂集"に記されている)
これを広め、教え導くことが、この世での私の務めである。
モーセは、日本人である私に、この仕事を託された。
このように信次先生と私は不二一体であり、同じ智慧の井戸の水を汲んでいたのだ。

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