地上では見えない真昼の星も、井戸の底に立てば見える。という諺があるように、自我我欲や自己保存欲の自己主張をひかえて、一歩引き下がれば色々と見えて解ってくるものだ。

 われわれ人類も大自然の支配者ではなく、あくまでも被造物であり、大自然の生きとし生けるものの一部であり、生きとし生けるものと一蓮托生(いちれんたくしょう)の運命共同体として、宇宙の全知全能なる叡智から、自然そのものの管理を託された、自然の保護者であることに目覚めてほしいのだ。

 そして、その全存在を愛し、保護し、育成しようとする、神の如き存在となるべきことを宇宙の叡智は期待し、そうなるべく導こうとしているのだ。

 それなのに人類自身はそれどころか、人類自身の間で、種族、民族、肌の色、思想や信仰や国籍の違いで対立し、相争い、殺し合うが、宇宙から見れば人種以外の何ものでもなく、その事実を考えると何と意味のない、荒唐無稽なことに固執するのかと、そのリーダーたちの聖人君子ぶる顔が愚かに見えてくるし、その愚か者に導かれて破滅に向かう人間こそ、正に迷える羊たちではなかろうか?

 およそ人間同士の不信の原因は、人間が本音と建前を使い分けるところにある。しかし何事も本音でいって悪い場合もあり、自分の子は可愛いが、人の子は可愛くない。人のことなど無関心である。といったような事を本音でいえば人と人が付き合えなくなることは必定だ。

 その場合、人間は自然という神から備えられた良心と、人から学んだ良識を必要とする。しかもその良識は、インドで唱えられ日本で完成された仏の教えである慈悲と、中国の孔子や孟子によって広められた道教から取り入れた、道徳や義理人情といったものから発するものを必要とする。

 しかも、その本音を隠して建前ばかりを論議するのが政治家の世界で、国会で延々と建前論戦に終始して、国税の無駄遣いをし、民衆の不信を招いていることに気づくことがないが、そこから何が生まれるのだろうか?

 そんなことより、それほど公僕として民衆のことを思うなら、もっと議員の数を減らし、給与や退職金を下げ、本当に民衆のためを思うなら、町会長のように栄誉職として無報酬でやれば国費を本当に民衆のために使えるだろうし、純粋に国を憂うる本当の有志の国会議員の集まりとなって国会が運営されるし、その方が本当の民主政治ではなかろうか?

 さらに警告しよう。議員や官僚達は自分が天下るための下部組織をつくって保身するが、一般社会ではそんな組織などなく、ために彼らはその権力にしがみつく。

 そして、彼らは[屋上に屋を架す]の諺の通り、組織の下に組織をつくり、また下に組織をつくって、そのつど給料をもらい多大な退職金をせしめて笑いが止まらず、その組織や運営に税金をつかって、ますます庶民の首を締めるが、もしそんなものが民間にあったら日本経済はすぐに破綻するだろうし、事実そんなことで国の財政はすでに破綻している。

 このように世界の国家制度、戦争、思想や宗教、社会の構造、政治のあり方、人間関係のあり方、教育のあり方、等、不用や無駄の部分、改革に必要な面が山積するばかりか、是非必要な道徳や義理人情の復活、等、そのすべてが行き詰まっているのに。

 一部の独裁者や世界の財閥や、族議員や官僚や一部の特権階級に邪魔されて、苦しむのは世界の一般庶民ばかりである。

 だから、このような悪環境を打開するには、クーデター[革命]でも起こして徹底的な粛清を必要とするが、これもまた年月の間に風化して過去の歴史のように、後継者が再び独裁者に成り下がり、人間の愚かさを露呈するだろう。

 さて本題に入ろう。人類がこのまま物質至上主義に走り、最後は力ずくで雌雄を決しようとするかぎり、人類は人類の劫(ごう)のままに戦いあい、殺しあうことによって淘汰しあい、地上に累々(るいるい)と屍(しかばね)をさらすだろう。

 


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