ここで今までの新興宗教が絶対口にしなかったこと。つまりプロとアマチュアの違い、つまり信者と弟子や指導者の絶対的違いについて記そう。

 相撲やボクシングの世界も、囲碁や将棋の世界でも、プロとアマチュアの世界は格段の違いを見せて到底及ぶものではない。

 同じように宗教の世界でも、僧と信者の間では、教えや修行の面では比較にならぬほどの違いがあるので、僧は信者の絶対の信頼と尊敬を享けて修行に励むのだ。

 現代の新興宗教を観るに、時として苦痛を伴う行より、現代人の得意とする頭の体操を第一義とし、また財があり有力者で教団に利あらしめる人を役員とし、有名人や、知恵ある者で、教団の拡大に寄与できる人を弟子とし、ご利益を餌にし、信者の金を集めて大伽藍を建立して膨れあがるが、社会の常識や知識を覚え、人生を乗り切るために小学校6年、中学3年、高校3年、大学4年の16年を要するのに較べれば、真にお粗末でインスタントな教団とあきれかえらざるを得ない。

 この世には昼と夜、天と地、善と悪、正と邪、雄と雌といった相対があり、その両者は常に原因と結果、作用と反作用の法則によって貫かれ、善因は善果を呼び、悪因は悪果を招いて相対してある。

 人が「あの人にあれだけよくしてあげたのに、恩を仇で返された」と嘆くが、この人は今だ愛するから愛され、尽くすから尽くされる相対世界に生きて、絶対世界を知らないし、従って悟りの世界にはいない。

 この世は上から下に水は流せるが、下から上に水は流れないという法則を知らないのだ。
しかも、そのあなたも、あなたの上から水があなたに流れるので、下に流せることすらも知らないのだ。

 だから流してあげる相手より、自分の位置が上なのだと解釈して、流してくださる上に感謝することが何より必要なのだ。

 あなたが智で知るより、しみじみと味わえば、ほのぼのとした気持ちになり、智でただ解ったといった貧しさはない。

 世の宗教は絶対を知り、絶対を味わうための行であり、そのためにこそ内観で親を調べるのだ。自分の親が自分に対する親心こそ神そのものの心なのだ。

 世に出た命は弱く、所詮は親によって生かされる命でしかない。その命が成長して自らの力で生きる命に成長し、次いで妻やわが子を生かそうとする命に成長する。そして生かそうとする命に成長した命は、もはや相手に対して相対の命ではなく、神のごとき絶対なのだ。

 だとすると教団の教祖は万人の親であり、親なら身にボロをまとって、決して寄進する子の浄財をとりあげて、大伽藍を建てて住み、高級車を乗り回し、身を飾って贅沢をするのでなく、我が子の幸せのために身を犠牲にする親の心なく、何が万人の親なのだ、救い主なのだ。

 その祖神(おやがみ)がいわれる、[父と母こそあなたに与えた私である。だから父と母を尊び敬い、その導きに従う心こそ、私を尊び敬い、その導きに従う心であると知りなさい]と、祖神はこの世に生きるあなたにとっての絶対者こそ両親であることを教え、その教えや導きや戒めを良心に刻んで生きるなら、祖神なる絶対者と生きるに等しいと教えられた。

 私の知人の息子さんは某大学の医学部に通い、通学路附近にあった某教団支部の話に興味半分に聞いているうちに真剣に聴き出し、ついに親の反対を尻目に医学部を止めて某教団の入会を決意した。

 そして私が止めさそうとして話をすればするほど「うん、それも教団が言っていた。それも言ってたと」止めるどころか益々入会の決心を固めていく。

 このように本物も偽ものも、ほとんどの教義は一致し、真偽計り難く、そこに偽教団のつけ込む隙があって厄介だ。

 ただ私はそうした学生の親たちが、自分の財をすり減らし、生活を切り詰めてまで、子の将来のためを思ってお金を捻出し学校へ行かせている、親の思いを裏切る学生の思いをひるがえしたくて必死だった。

 私はその学生に聞いてみた。「それでは聞くが、その教団の人々や幹部たちは、年齢がくるとそれぞれ結婚しているのか?」すると当然ともとれる答えが返ってきた。「そんな人たちが結婚して、何故いけないのですか?あのイエス・キリストも親を捨てて家を出たのではありませんか?」

 私は彼の答に憤然として反論した。「よく聞け。私は君たちが親を捨てる理由について論議しているのではなく、親の自己犠牲の愛の思いや、願いや、希望までも 奪った親不幸者のあなたが、自分の幸せだけは欲しいとする、余りの身勝手さに憤りを感じる。しかも、あなたが行こうとする教団の幹部や先輩までもが同じ思いだとすれば、救い主どころか、あきれ果てて言葉が出ない」と、云ってやった。

 どれほどの言葉を飾ろうとも、真実でないものには矛盾があり、妻でありながら主婦を放棄して、夫を捨て子供を道連れにして、入会を勧めて家々を回る姿のどこに幸せがあるのか?

 それより主婦は主婦らしく家庭を守り、夫に仕え、子供を生き生き、すくすくと育てて、他者に興味を抱かせ、「貴方の家庭はどうしてそんなに幸せなのか?」と聞く相手に、「よろしければ一緒に聞きに行きませんか?」と誘うことの方が正しい。

 僧または尼として、幾十年という長い年月の間、行に徹底精進し、悟って絶対者の境地を得たあなたではなく、その教えに従う信者としての、相対世界に生きるあなたの歩むべき道ではなかろうか。

 だから真実の教えある宗教には、信者に入会を勧めに行かしたり、信者の金を寄進させることに汲々としたり、信者の金を集めて神殿を建てたりはしない。もし神の入る神殿を建てるなら宇宙をすっぽり包むほどの神殿がいるからだ。

もし人が、本当の現世利益がほしいなら、これを実践せよ。

[1]人生の諸現象に惑うことなき、どっしりとした心の器つくるとき、災い避けて福を呼ぶぞ。

[2] 濃やかな愛に満ち満ちて笑顔を絶やさず、謙虚に慎ましく才たけて、勿体ない勿体ないと暮らす人生に福来る。{特に女性に必要} 

[3] 急きも慌てもせず、運命の雨にも風にも負けず、不動の巌にどっかと心をすえ、人生の海に釣り糸を垂れ、運来たるを待て。

[4] 稼ぐに追いつく貧乏なしと、小智を捨て、せっせと働く努力の中に福来たる。

[5] 感謝の心を絶やさず、天地の恩、人の恩に、お陰さまで、お陰さまでと暮らす人生に福来たる。

[6] 縁を大切にせよ、縁こそ宝なり、と暮らす人生に福来たる。

[7] 人生の体験の積み重ねこそ宝なり、それを知恵に生かして生きるとき、福来たる。

 またこうも云える。

〇幸せの定義は、下を見て暮らすこと

〇建前でなく本音で付き合わないと、人の信を得ることはない

〇人生に一定のスピードを持たないと、自分の運命を操縦できない

〇自分の経済速度を知らないと、不完全燃焼したりオーバーヒートして、効率よく人生を生き抜けない

〇自分の持つ天分を、天職として生きないと、人生の勝者になれない

〇前に目標を持たないと、人生の落伍者になる 

〇愛する者をもって人生に挑戦しないと、不屈不当の精神力を養えない

〇良き友や良き協力者を得て人生を生きる者は、心強く生きられる

〇人は群を作って生きる生きものである以上、人付き合いが悪いと孤立する

〇人の三倍働いて倍の贅沢をしないと、劣等感やコンプレックスに陥る

〇自分の人生や運命をよく反省して、天が与えた自分のハンディ{能力差}とセクション{位置}を知りなさい 

 などの要点を理解して生きてほしい。

 


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