無上霊宝神道加持(むじょうれいほうしんとうかじ)

掛けまくも畏き天照皇大神の宣賜わく。
[かけまくもかしこき、あまてらすすめおおかみの、のりたまわく]

人は則ち天下の神物なり
[ひとはすなわち、あめがしたの、みたまものなり]

須らく静謐を掌る
[すべからく、しずめしずまることを、つかさどる]

心は則ち神明と本主たり
[こころはすなわち、かみとかみとの、もとのあるじたり]

我が神魂を傷ましむること莫れ
[わがたましいを、いたましむることなかれ]

是故に目に諸々の不浄を見て
[これがゆえに、めにもろもろのふじょうをみて]

心に諸々の不浄を見ず
[こころにもろもろの、ふじようをみず]

耳に諸々の不浄を聞きて
[みみにもろもろの、ふじょうをききて]

心に諸々の不浄を聞かず
[こころにもろもろの、ふじょうをきかず]

鼻に諸々の不浄を嗅ぎて
[はなにもろもろの、ふじょうをかぎて]

心に諸々の不浄を嗅がず
[こころにもろもろの、ふじょうをかがず]

口に諸々の不浄を言いて
[くちにもろもろの、ふじょうをいいて]

心に諸々の不浄を言わず
[こころにもろもろの、ふじょうをいわず]

身に諸々の不浄を触れて
[みにもろもろの、ふじょうをふれて]

心に諸々の不浄を触れず
[こころにもろもろの、ふじょうをふれず]

意に諸々の不浄を思いて
[こころにもろもろの、ふじょうをおもいて]

心に諸々の不浄を思わず
[こころにもろもろの、ふじょうをおもわず]

此時に清潔き詞あり
[このときに、きよくいさぎよきことあり]

諸法は影と像の如し
[もろもろののりは、かげとかたちのごとし]

清浄ければ仮にも穢れること無し
[きよくきよければ、かりにもけがれることなし]

記を取らば得可らず
[ことをとらば、うべからず]

とあるが、これは実に禅そのものをいっているのであり、無我、無念、無想の三昧の境地、これこそ正に心の原点そのものだ。

冒頭の天照皇大神[あまてらす、すめおおかみ]とは、日本の天皇の祖先などとの解釈をせず、[祖神==創造神]つまり宇宙大自然や、生きとし生けるものを創造された祖神と解釈される方が正しいのだ。

だからその祖神から見れば、人は則ち天下の神物なり「神が創り出された神の被造物、つまり神の子」であり、心は則ち神明の本主[故に人の心は創造主である祖神の心と同質であり通じ合っている]と記されているのだ。

そして、このような三昧を行じていると、諸法実相のこの世がよく解り、我々の肉体的現象も運命も、原因と結果、作用と反作用の法則の中にあって、これが解ればわが身、わが心を汚すことがないが、肉欲と煩悩にまみれて心を働かせれば、すぐに心の目が汚れて盲目の人生をおくるだろう。と記されている。

皆花より木実とはなる
[みなはなより、このみとはなる]

我が身は則ち六根清浄なり
[わがみはすなわち、ろくこんしょうじょうなり]

六根清浄なるが故に
[ろくこんしょうじょう、なるがゆえに]

五臓の神君安寧なり
[ごぞうのしんくん、あんねいなり]

五臓の神君安寧なるが故に
[ごぞうのしんくん、あんねいなるがゆえに

天地の神と同根なり
[てんちのかみと、どうこんなり]

天地の神と同根なるが故に
[てんちのかみと、どうこんなるがゆえに]

万物の霊と同体なり[ばんぶつのれいと、どうたいなり]

万物の霊と同体なるが故に
[ばんぶつのれいと、どうたいなるがゆえに]

為す所の願いとして
[なすところの、ねがいとして]

成就せずと言うこと無し
[じょうじゅせずと、いうことなし]

と締めくくられている。

 皆花より木実とはなる。とは、この世は全て原因と結果、作用と反作用の法則から成り立っている。だから同様に、無我、無念、無想の三昧を行じるときの眼、耳、鼻、舌、身、の五官と、それによって反応する表面意識の意を加えた六根は、三昧の中に停止して清浄であり、清浄であるがゆえに、肉体の五臓六腑に何の悪影響も与えないので健康そのものだ、と記されているのだ。

 植物人間になった人の肉体は、イライラ、メソメソ、クヨクヨ、カッカと心が揺れ動かないので、肉体は健康になるといった話をよく聞くが、その事実を神道の祝詞(のりと)がいっているのだ。

 


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