ノ  ア  よ

ノアよ ノアよ 

ノア それはあなたなるを知りなさい

あなた自身こそノアであり あなたの肉体こそ箱舟なるを知りなさい

あなたは肉体なる箱舟に  野の様々な獣(けもの)を積み
洪水に荒れ狂う運命の荒海に
迷い漂う心の旅人

しかし人よ 
あなたはやがて安らぎを求め 
内なる平和の鳩を天に放ち
安住(あんじゅう)の心の大地を求め模索せん

祈れ さらば通ぜん
求めよ さらば与えん 
叩け さらば開かん

人よ あなたはやがて
アララトなる悟(さと)りの山頂に行き着くだろう

その時あなたは永遠の台地にたち 
野のさまざまなる獣を降ろして
光自身となって 
光自身なる私に還る

[肉によるものは肉とともに滅び 霊によるものは永遠の命に生きる]
この言はある聖者の言(ことば)だが、宗教界の対立と闘争の現状を鑑(かんが)み、できるだけ宗教色を払拭するため、あえてその名を記さないが、知る人ぞ知る有名な言(ことば)だ。
だが、この[ノアよ]の詩と、この聖者の言とを比較検討するなら、性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)に分かれる人間の本質をつき、霊なる次元から観れば人間の本質は[無であり空であり善]なるを知らざるを得ない。

しかり人は、肉もつがゆえに自らの良心に反逆し、肉の繁栄と維持のための食欲と性欲と物欲の虜となり、他に対して対立感情と闘争本能と欲望にぬれ、そのため知性はエゴ的となり理性が薄れて広範な意味での罪を犯してはばかることがない。

神の光は我々に道を示すのか それとも我々の目をくらますのか
アレハンドロ セプテンバー  9.11

 この詩は昨年アメリカに起こった同時多発テロにたいして、一人の人が贈った詩であるが、そのヘンリーの最たるものが核爆弾であり、核を保有するアメリカは戦争の抑止力になるというが、恫喝(どうかつ)にも使っていることを知るや知らずや。
 しかして、これを使用するものは完全なるヘンリーに支配されている地獄の使者であり、正義を論ずるに値しない鬼畜であり、人類全体の敵なのだ。

 これからの科学が窮極の進歩をとげるかぎり、兵器はますます大量破壊殺人兵器と化し、人類を虫けらのように抹殺するだろうが、やる方は平気でもやられる方の無念と、やられた方は相手にたいしての憎しみと恨みは骨髄に徹し、殺されて地獄におちた死者の呪詛(じゅそ)の思いと重なって一つの執念、怨念と化し、殺した国や相手の子々孫々まで、未来永劫に呪い続けるだろう。

 よく我々日本人は、欧米人は思ったこと考えたことを率直に表現するからつき合い易いというが、その主張の裏にある同じ重さの義務について果たしてどこまで考えているのだろうか。

 その自由主義のデモクラシーを国是として成り立つアメリカ合衆国は、世界一の訴訟立国として有名なのは何故だろう?
 東洋思想の根底を流れる思いや考えは、両者の真中に線を引き、どちら側も対等の立場で、双方が満足のいく中道(ちゅうどう)という思いや考えから、全ての物事を処していくという立場から対話する関係上、どうしても相手の立場や思いや考えを斟酌(しんしゃく)するから対話に沈黙が多くなり、時として自己主張を控えるのでピントが合わず、欧米人には理解し難く曖昧ともとれる傾向となる。

 しかも、地球大自然の中に生きる万生万物には何一つ不必要なものはなく、ミミズ一匹でさえ欠くことのできない生命として生かされ共存共栄する。

そして最も大切な思いや考えは、西洋思想のように相手を否定し抹殺するのではなく、相手の存在を認めることがら始まるのだ。

 どうだろうか、否定し抹殺するのと、認めて受け入れ、また相手の立場にたってもよく考え、対話することの重大な違いに気付かない限り世界の平和は訪れることはない。

 そして、この東洋思想こそ平和を携えてやってくる[アンゴルモアの大王{平和をもたらす新しい支配者、つまり思想の名}であり、それを地で実践しようとする者こそ{天使人類}なのだ]

 


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