栄養が偏る、栄養失調、栄養過多と栄養に関してはいろいろの議論がなされているが、果たしてそればかりだろうか。 今から20数年前、私の孫娘が2~3歳の頃、ままごと遊びをしていて、私はその前で禅に耽っていた。

 すると、何かバナナジュースの匂いがして目を開けたが、ただ孫娘が素手でミキサーでジュースを作る仕草をしているだけであるが、私には不思議に、どうしてもバナナジュースの匂いがしてならない。

 ジュースができあがったのか、両手で持つふりをして、台所で夕食の支度をする家内の所に行き「ばあちゃん、おいしいよ、飲んで」と手を差し出すが、料理に忙しい家内にとっては迷惑な話で「久美ちゃんいいから一人で遊びなさい」と取り合わず、それでも強引にすすめるので飲むふりをして「アアおいしかった、もういいから、じいちゃんの所で遊びなさい」と取りあわなかった。

 仕方なしに私の側に来た孫娘に「久美ちゃん、じいちゃんにも作って!」というと「じいちゃん飲む?じゃあ作るからね」と作る仕草を始めると再びバナナジュースの香りがする。

 さて出来上がったバナナジュースを想像して飲むと[香り、甘さ、冷たさ]は絶妙で、正に天国の飲み物のようだ。
 余りにも美味しいので「久美ちゃん、もう一杯ちょうだい」と催促すると、久美はすまなさそうに「バナナもうないの」というので驚いた。

 何故なら、私がこのジュースはバナナジュースであると思っても、口にすることはなかったからだ。

 だが久美は意識の中ではバナナジュースを作っていたのだ。この不思議な一致は何を意味するのだろうか?

 私は食事や栄養について考えてみた。栄養とは何か?ビタミンやミネラル、植物繊維やカルシウム、鉄やマンガン、ナトリウムやカリウムやマグネシウム、といった栄養をバランスよく摂取して人は生きる。
 しかも昨今の栄養補助食品[サプリメント]の流行は正に常軌を逸した観さえあるが、本当にそれでよいのだろうか?
 私は孫娘が作った意識のジュースにふれて以来、私は栄養についてこう考えるようになった。

 食物は酸性に傾いてもアルカリ性に傾いてもだめなら中性が正しく、正しくいうなら毒にも薬にもならぬものが栄養ではなかろうか。
しかも、それを栄養と化すなら食事をとる本人が、心から「おいしい、身につく」と思う分だけ栄養として身につき、痩せの大食いといって、ただ腹一杯食べることに専念する人には栄養として身につかないのではあるまいか、と思えるのだ。

 だから「おいしい、身につく」と、食物に対しての感謝の分だけ、その人の栄養として身につくのなら、心の豊かになる話を聞いて「とてもためになる、すばらしい」と感謝する分、その人の心の栄養になり、心が丸く豊かに成長するのだろう。と、私の思いは果てなくひろがる。

  栄養補助食品の是非

 私の良き弟子で佐々木君がいたが、彼は大阪生駒の断食道場に入って行に専念していた。

 彼はある日、私宅を訪れ「先生、私は断食道場で普通の人の三分の一の食事とり、生駒の山を毎日15キロ歩きました。
 しかし人は、私の三倍も食べるのですから、毎日45キロ歩かなければ食べたもののエネルギーを消化できないと思いますが、現在の人は栄養過多で病気するのでしょうか?」と質問しました。

 その通りで戦中戦後の極度の栄養失調で死亡する人達に比べ、今の豊富な食糧事情の中で、飽食の末さまざまな病気をする時代で、考えられないことが多く、特に昨今の栄養補助食品の流行には首を傾げたくなる。

 


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