最近目にあまるニュースに、子供同士のいじめで自殺する被害者児童の報道や、それにもまして不可解なことは、犬や猫を愛し可愛がる子供と、また反対に平気で何の罪も無い犬や猫を針金で首吊りさせたり石や矢で射殺したりする、その両極端な児童の存在だ。

 その児童の恐るべき両極端の先には弱いものをいじめ虐待し、ついには親兄弟をも良心の呵責なく殺す。さらには我が子をいじめ殺す鬼親など、短絡する無軌道人間の出現だ。

 現代インテリを任ずる現代人は知性と理性の産物で、知と理からは認識する、計算する、理解し納得するといったもの以外になくて、人情家やお人好しは下品で下等な人間と軽蔑する傾向がある。

 しかし、そのインテリたちが見失ったものは心で、心には味覚があって味わうことができ、空間があって相互間に響きあい、互いに愛や情の粘性があって吸着し、与え合う愛や情を吸収して感動し、形なきものが愛の粘性によって形あるものに成長するイントネーションの拠点であることをインテリを任ずる人たちは知らない。

 したがって、現代の社会や世界に現れつつあるエントロピー増大現象は、形あるものが愛の粘性を失うことによって崩壊する。その事実を如実に表現しているのだ。

 それでは、いじめの原点を解り易い方法で説明しよう。
今も昔も、大阪の国分と平野に養鶏場が存在する。鶏の一匹が前の鶏の尻の穴をくちばしでコツリと突き、前の鶏が怒って相手を突き返せば何も起こらないのだが、逃げると他の鶏たちもこぞって逃げる鶏の尻の穴を突きはじめ、その鶏が尻の穴から腸もタマ紐(子宮)も出して死に至るまで止めようとしない。

 どうだろうか?これが動物人間として、他の人間をいじめ殺す原点なのだ。

 しかし、それをそうさせまいとする人間の脳の仕組みが考える葦といわれる脳の上皮質で、上皮質は体験するか学ばない限り上皮質が作用せず、その教育を怠った日本教育界の責任を問わざるを得ない。

 人間の持つ心は千差万別で、一つとして同じものはない。しかも一人一人が個性の輝きを持ち、それゆえにこそ人は尊いと言える。

 個性の中に、神がその人その人に与えた生き方を秘めている。ある人は絵を描かせば天才であり、ある人はピアノを弾けば天才で、ある人は小説を書かせれば、ある人は漫画を書けば、ある人はカメラを持たせれば、ある人は真理を模索すればと、個性は千差万別であり、そのゆえにその人その人は掛がえなく尊いのである。

 しかし、世の新興宗教は宣教に名を借りて人を洗脳する。自分たちの都合のよい人間を作り出し、結果として何の個性の輝きもない平凡無能な人間に創り直すが、科学も哲学も宗教も目指すものは洗脳ではなく真実の追究であり、得たものは物理的にも心理的にも正しく現象によって証明されるものでなければならない。

 私の著書に、「人はそれぞれ異なれる個性を持ち、我々はその個性をもって世に奉仕し、好きこそものの上手なれの例えの通り、そのために世からも生かされ、その輪廻の中に個性を磨き、神格に入るこそ諸天善神の道なり」と記したように、個性とは神がその人その人に与えた最高のプレゼントなのだ。

 人が私をどう思おうと、私は私自身の心の中まで知っている。人に嘘を言い人を騙しても、自分自身を騙すことができない。人には建前でものを言えても自分自身には本音だ。だから人を導く者の罪は盲信する信者の比ではなく、死後の劫火の火は太陽のように強烈で死者はさらに死ねず、誤りを犯せば永遠の劫火の火で焼かれ呻吟するだろう。

 人よ。知性と理性の冷静という名で、心冷たく生きる人たちで世が成り立つのではなく、あなたたちが下品と言う下町の心温かな人々の存在があって世の中の温度が保たれ、息をする人間が安心して生きる空気が保たれている。と知ってほしい。

 世の中は今や物質文明の最中にあり、それが人間の知識と知恵の産物と錯覚した時から人間は傲慢になって、地球や地球上の万生万物を支配する。そのために地球の秩序を乱し破壊し汚染し、自分自身の破滅に向かって狂奔する。 
それが近代科学が産み出した大量殺戮兵器なのだ。

 世の終わりには親と子が家庭や家族が崩壊し、人と人が国と国が、思想と思想が、宗教までもが対立と闘争を繰り返し、地上に敵なき人は人によって滅び、内なるもの( ウイルス )によって滅ぼされるだろう。と私の内なるものが私に言った。

 科学の発達に目が眩んで、心を見失った人類の哀れな末路の姿がそこにある。物質文明に逆行し、動物の闘争本能と敵対感情と自分だけがよかれのエゴ的知性と征服欲にかられて、理性を細らせた原爆のキノコ雲が人類の未来を暗示している。

 もし今、他の天体から宇宙人が来たとしたら彼らは一斉に首を傾け、「解らない」「理解できない」と考えこむだろう。なぜなら、人類は繁栄のために文明の利器を使わず、滅び滅亡するため共倒れするための武器の生産に狂奔しているからだ。

 もっともな矛盾は宗教である。
宗教の字を分解すると、ウ冠に示す教えと書き、宇宙の真実を示す教えであり、最も偉大な神は宇宙を創造し地球を創造し、生きとし生ける一切のものを産み出した親なる神であるはずだ。
その神が宗教の違いで、殺し合え抹殺しろと言うはずがない。なぜなら神こそ一切のものの創造神であり親なのだから。

 人間の起源を尋ねれば、人間はアフリカのサバンナに生まれたと学者は一斉に唱える。そこから増えて枝分かれし世界各地に散って行き、その気候風土と食べ物の関係から様々な人種に進化していったが、人類は皆兄弟であり神の名において人間は神の子に違いない。

 そして、同じ種類なるがゆえに、人は人種や民族に問題なく互いに愛し合い子供を作ることも可能なのだ。しかも、他の民族や人種と交じり合うことによって優性遺伝する。ベラルーシという国は度々侵略者が入れ替わり、その都度優勢遺伝して美人が多く不美人を探す方が難しいと言われている。

 仏法では人間の魂は転生輪廻すると言われる。それが事実ならアメリカ人と生まれて今アフガンやイラクで戦った米人も、次にはイラクやアフガンに生まれるとしたら、かつてイラクやアフガンで戦ったことを後悔するだろう。

 我々人間は個的レベルで生活し行動するが、この魂は個的なものではなく、宇宙的な仕組みの中で誰かの意志によって成されているとしたら、公的な使命と目的をもって、生きるのではなく生かされていると知らなければならないだろう。

 人間の幸せとは何か?何をもって幸せというのか?と、開き直って考えれば、その基準は極めて曖昧となる。例えてその基準をお金と位置づけても、確かにそれも基準の一つかも知れないが、お金がなくともその日その日が何とかやっていけて家族が健康で仲良くやっていけたら、それが幸せという人たちも多くいる。

 自分の幸せを認識して人に対して優越感に浸るものではなく、幸せは心をもって味わうものでその思いは千差万別である。

 宗教に帰依して、人のために働きたい人を救いたい。と若者たちはヒューマニズムに燃えるが、本当に人を助けたいなら、自分が汗水垂らして働いて得たお金を人に施すことであり、かく言う私も会社を経営していた頃、人を助けたいと数人の人々に数千万円の施しをして来たし、現代もユニセフに寄付をしたり信者の困っている人には与え続けている。

 今や若気のたたりで肺気腫となり、八十一才の高齢となったが、生きる限りは人様のために尽くしたい思いに駆られて、神と共に歩み続けている。

 しかし、その私でも及ばぬ女性がいる。彼女は母が生前お世話になった大阪の日赤と千里救急救命センターに、母の生命保険や香典からそれぞれ数百万円を母の供養にと寄付し感謝状や功労勲章を授与された。

 私は物理の法則で真理を解き、全ての真理を物理によって解き明かしているが故に、私に反論するためには物理の法則に異論を唱えねばならなくなる。

 最後に曰く。
 見てござるぞ神仏が、心の底まで見透かしてござるぞ神仏が、例え貴方の信者が貴方を仏と敬い神と呼ぼうが、その真実のままに見てござる、知ってござるぞ神仏が。そして、貴方の死後貴方を裁くのは貴方自身で、その物指しが貴方の内なる良心なのだ。

 その良心が貴方から独立して貴方を裁き、浄玻璃の鏡が生前の貴方の心を徹底的に映し出し、時に罪の重みと呵責に耐え切れず、自ら選んで地獄に落ちる者。神の特赦を得て再び人生をやり直す者。永遠の命を享けて輪廻の軌道から外れる者様々だ。

 このホームページは現代の緊迫した世相の中で、我々は何を思い考え行動すべきかを定義したかった。

 

同志は是非、私の講演会に参加してください。

 


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