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白血病の少女の奇跡   2006-6-25 須磨法座

光の塔 1991-夏 №7 瀬川宗一

この”光の塔”は1991年に出したものです。
まさにその当時のことが書かれています。

これは三田であったことです。
病名は白血病、骨髄ガンです。女の子で14歳です。その報告を受けました。神様にお祈りをしました。7歳の弟がお姉ちゃんのために自分の骨髄液をあげるんです。いたいけない子供が。「どうか神よ、奇跡を与えてやってください」心からお祈りをした。

ボクがそのことを聞いたときは、すでに滅菌室に入っていたので行けないのです。ボクの弟子のO君が一生懸命になって光を送っていた。

患者に薬を入れる前に、患者の身体全体に病菌がないかを調べるのです。小さな虫歯が見つかり、これを治療して完全無菌になった。そして弟の骨髄を採取して、患者に移植する準備のために薬を投入する。

この薬を投入するとものすごい吐き気をもよおすのです。ガンの治療をした者はよくわかりますけど。ところがその女の子にこちらから遠隔操作をやっていた。
そしたら吐き気も感じず、他の患者は苦しんで死ぬ思いをするのに、「お腹が減った!」という。
「なんという娘や、前代未聞だ」とうれしい悲鳴をあげた、とお母さんから聞いた。O君はお光の結果やと思っていた。

三日間、骨髄にコバルトを投入した。これは娘の命の限界すれすれのところまでされる。実際はここまでしてもガンは消えていない。
弟の骨髄の髄液を採取して、14歳の姉に移植する手術は非常にめずらしいことです。普通は一般の方から提供を受けるのですが、この場合は提供者に後遺症がでる率が高く、移植手術は実際には難しい。

また骨髄から髄液を採るとき、骨盤に7~10ヶ所から穴をあけ、そのひとつの穴に何回も針をいれる。
しかし、これは私が担当やっておりました。
7歳の男の子の出にくいだろう骨盤の後と前から採る予定だった。ところが後の骨盤だけでよくて、先生が針をさすとほとばしるように出て早く採れ、早く採れという感じで楽に採れた。
「こんなこと初めてだ」と医者がびっくりされた。
このような状態で移植手術もスムーズにいった。

骨髄提供者は骨盤に穴をあけているので、身体を動かすと痛く、ベッドの上で尿をとってもらうのだが、弟さんは「大丈夫や!便所にいく」といって立ち上がり、一言「痛い!」といったが、それきり痛いと言わずに歩いていった。
それを聞いた医者はびっくりして「なんというエネルギーの強い子だ」と言っておられたとお母さんから聞いた。

また、麻酔から覚めると最初にのどが渇いているのが普通なので、看護婦さんはこの子が目を覚ましたとき「のど渇いたやろ?」と水をもっていくと、「ぼく、さっき飲んだよ。だからもういいよ」といって断った。
不信に思った看護婦さんが「今、目が覚めたばかりなのに一体誰から水をもらったの?」と聞くと、「さっき、白い服を着た男の人が来て、コップで水を飲ませてくれて、優しく、よく頑張ったね。もう少しでご飯を食べれるからね。また、外にも出れるようになるからね」といって、しんどいやろからと寝返りまでさせて下さった。

そして、その方が部屋から出ていかれたときに、緑色の服装の担当医の先生とすれ違うのだが、人間同士であれば当然衝突するのに、衝突しないばかりか先生も気づかないで歩いて来られて、スーと肉体をとおり抜けて白い服の人は出ていかれた。「あれはきっとお母さん、神様やでぇ」とその子供はいった。子供心に感じたことを報告された。

このガン病棟の無菌室は特殊で、先生も看護婦さんも全員が緑色の服装をしていて、白い服の人は一人もいなかった。不思議なこともあるものだとお母さんと看護婦さんはびっくりした。

裏であったことは一切知りませんから、「先生に祈っていただいたお蔭で」と、後日にお礼に子供を連れてご両親がみえた。その子供が「このおじちゃんから、お水をもうたんやで」といった。こういう奇跡がおこるのです。

しかし私が本当に不思議と思うことは、それほどの奇跡を享けられた人ほど、しばらくすると音信も途絶えてしまいます。それは一体何を意味するのだろうか?

また奇跡をうけたければ、神の意に添った生き方をすべきです。奇跡をあげても当然や、という生き方をすべきです。

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