人間の頭脳は、地球上の他の生物とは比較のしようもないほども発達しているが、爬虫類のような原生生物の脳は[小脳・脳幹・大脳辺縁系]の三つから成り立つ。それは強敵にたいする威嚇、けん制や、獲物を見て興奮して飛びつき、牙や爪をたててとらえ、噛みついて食うか、異性を見ると興奮して近寄り性交するといった、およそ感情とは縁遠いものであったが、人間のもつ大脳は上皮質といって右と左に分かれ、左脳では知性と理性を受け持ち、右脳では本能と豊かな感情を受け持つ大脳上皮質がある。
しかし、いかに知性、理性、本能、感情にすぐれた人間も、幼い頃はトンボを与えれば無造作に頭や羽や尾を引きちぎって殺し、カエルを与えれば手足を引きちぎり足で踏みつけ殺して良心の呵責すらない。
それはどうしてだろうか?その意味は簡単で、人間の大脳上皮質は人生の中で体験するか経験するか、または教えられない限り学習できないという弱点をもっているからだ。
だからこの意味が解れば現代の若者が、意味なく平気で人を殺し、善悪の見境なく暴走する心理がここにあることが歴然としよう。
つまり現代の若者達の教育が、知育と体育に重点をおき、徳育[思いやりや慈しみや義理人情や、愛や慈悲心の大切さ]をなおざりにしてしまった結果なのだ。
この問題は日本敗戦後の日教組が、徳育は軍国主義の復活につながると拒否したためだが、人間も他の弱い動物のように集団で生活する習性があり、その習性がある限り群のルール[掟]なしでは統制が取れないのに、何故そのルール[人類社会にあっては、法律以外の道徳や義理人情や、思いやりや優しさや愛や慈悲]といった絶対不可欠のものを教えなかったのだろうか。