旧約聖書に[世の初めに言ありき]とあるが、言と書き言葉とは書かれていないが何故だろう?
言葉とは、通常人間が意思を相手に伝えるために口から発する言葉を言い、言とは口から発する以前の意志の段界を言う。
だから旧約聖書の、[世の初めに言ありき]とは、[世の初めに意志{意思}ありき]と訳されるからには、大宇宙は創造以来、その中心に意志があり、その意志が意思するままに現象化されて運営されている。ということになる。
同時にそれは人間にも当てはまり、人間とは心と行い、つまり心行以外に何があるだろうか。
そして、その心行が正しければ人類は栄え、間違っていれば人類は滅び、取捨選択は人類自身に委ねられているが、それは人間の心が宇宙の心の写し形であるがゆえに、委ねられていると知らなければならない。