よく神から言(ことば)が入るというが本当だろうか?
日常の生活をしている人は、慾や思惑や駆け引きや煩悩の渦中にあり、ために常に自我や自己保存を交互に出して心は平穏でない。にも関わらず、そんな人が明鏡止水のように心を調和して精妙な神の言を聴けるだろうか?
また精神に異状をきたした人も、何か神のような言(ことば)が聴こえると言うが、それも幻覚や幻聴の類であり、それを信じるとその人も遂にはその人と同じように精神異常者の世界をさ迷うだろう。
あるいは、僧として娑婆の喧騒から遠く離れ衣食住の心配もなく、慾や煩悩の世界を忘れて平穏な日常にいる者の心は、明鏡止水の如く澄んで世の流れが止まるだろうが、そこからも何も生まれるものはないだろう。
しかし、私のように波乱万丈の人生を生きて、人の世も心の裏も表も見続けて、常に人生に勝利した者が、人の世のはかなさと我欲の空しさに気づいて、世に生きる人々に伝えようと決心し精進の末、心の脱皮を果たし心を無にし、心を神に預けた者のみが成し得るのが天啓であろう。
その昔アブラムという人がいた。神はその人に命じてアブラハムと名乗らせたというが、アブラとは[父、天の父、神]を指し、ハムとは[通信]つまりコンタクトを意味し、アブラハムとは[神とコンタクトし、通信可能の者]。神とのコンタクターを意味する。
[それではその物理的意味について明快に答えよ]答えよう。鉄またはクロームの磁性の方向は調和されていて、こうした金属を[常磁性体]と呼び、その他の金属の磁性はバラバラで[反磁性体]と呼ぶ。そこに磁石を近づけると、[反磁性体]は何の反応も示さないが、[常磁性体]の金属は磁石に反応して[強磁性体]と化して磁石とピタリと付く。これがコンタクトの実態である。
つまり、一切の概念や欲望や煩悩を廃した人の心は、素心に還って心は丸く豊かに調和されて[常霊性体]となり、反対にこの世的な概念や欲望や煩悩を持つ人の心は、不調和に乱れるがゆえに、神が近づいても何の反応も示さない[反霊性体]となる。神の霊が近づくと心が丸く豊かに調和された[常霊性体]の者は、[強霊性体]となって神とコンタクトできるのだ。
だが、[強磁性体]となり磁石に引っ付いた金属も、例えばクロームの場合は300度の熱を加えると磁性の方向はバラバラになって[反磁性体]に変化して磁石から離れる。
この理論からいくと、霊能力者で怒りっぽい者はいないはずで、怒れば瞬時に神とのコンタクトを解かれるはずだ。
この理論はハルマゲドンにも適用される。私たち戦中を生きた者は知っている。
B29爆撃機によって落とされる多数のエレクトロン焼夷弾の落下音はザーッといった夕立のような音だ。大陸間弾道弾は発射点で対流圏から成層圏に突入し、さらに敵地の成層圏から対流圏に入るとき、ツオーといったラッパのような音になる。聖書の中に、世の終わりに天でラッパの音が聞こえる。といったことと一致するが、そのとき地上では奇跡的な現象が起き、ある人は生きながら魂を抜かれ、ある人は肉体に魂が入ったまま原子の火に焼かれる。
なぜか? 大陸間弾道弾が爆発する寸前に、磁石なる神の霊が地球を一周し、心の調和した人々の霊魂は、磁石と同じ神の働きによって天に引き上げられ、調和すらもない人々は肉もろとも原子の火の洗礼をうけて、地獄の劫火に焼き殺される運命にあるからだ。