宗教とはウ冠に示す教えと書き、宇宙大自然のあるがままの姿を真理として示し、教え導くことが宗教の本質でなければならないと私は思う。

 しかし現在の宗教は、信者に従順と服従と奉仕を教え信者を一定の鋳型に入れて、個人がもっとも大切にしなければならない個性を無くし、平凡無能な人間にしようとしていることに信者は気づいているだろうか。

 人間は様々な個性を持ち一人として同じ人はいない。それゆえにこそ、あなたは尊くかけがえなき者なのだ。そして人は、自らが天より与えられた個性をもって世に奉仕するがゆえに世から生かされ、その輪廻の中に個性を磨き神格に入る。それが諸天善神の道なり。

 だから人が無気力に生きるのは、自らの天性つまり個性が有意義に発揮できない環境に生きているからである。

 かつて中東の地に現われた聖者がいった。

 “道は常に自由であり、自由なる道にあえて道をつけるはあなたである。しかして、自らがつけし道に悩み苦しむもあなたである。あなたは自らが持つ性の本質に従って生きなさい。魚は水にあって自由であり、空を飛ぶ鳥は、飛ぶことによって自由となる。しかし一度道を誤り、陸に上がった魚は身の自由を奪われ、鳥は地上にあっては最も弱き生きものとなる。それぞれが性の本質に従って生きてこそ、自由なることを知りなさい“と。

 この性、つまり個性とはその人々に与えられた天職ともいうべき特質である。

 この重要な問題を現代宗教は採り上げず、教義に対する盲目的な洗脳を信者に施して、従順と服従と奉仕の精神を優先させ、結果として社会に無関心で無気力で、皆が救世主気取りで得々とし、社会に対しては平凡無能で取りえのない中途半端な人間を作り出す。

 今や日本の人類社会は怪奇現象ともいうべき珍事に遭遇し、人生や社会の経験のない若者たちが宗教に群がり、時としてオーム真理教のような危険な集団に加盟して日本革命に狂奔する。

 本来宗教を必要とする年齢は、社会の一員として必死に生き、結婚して家族を設け、子供たちは結婚して家を出、敬愛する父を死なせ母を亡くし、友人知己が次々と世を去って、今まで気づかなかった侘しさや寂しさに打ちひしがれ、人生とは何か?生きるとは何か?死するとは何か?成仏とは何か?と振り返る年齢に達したとき、人ははじめて仏門をたたき教えを乞う。そのために寺が要り僧侶が要り、宗教が要るのではあるまいか。

 しかも一般宗教とこの正法の違いを述べると、神殿を建立し神を祭るには宇宙をスッポリと包む、想像を絶する巨大な神殿が必要であり、そんなものは人間の手では創りようもありません。人が造った神殿をいかに拝もうと祈ろうと、そこからは何の通信もなく、答えも返って来ませんが何故だろうか?答えは簡単で、そこに神はいないからです。

 その神はあなたの心の真中に言として響き、神とあなたの対話が始まり、仏壇ではなくご先祖の声はあなたの心の真中から囁き、あなたを調和と繁栄にと導くでしょう。

 今まで延々と科学の法則で真理を解いたが、科学に縁の遠い人たちにはチンプンカンプンで、理解ができないので興味が湧くはずがなく、眠たくなるので話題を“私の独り言”に代える。

 [万有引力は愛の法則] [世の中を滅亡させるヘンリー] [あなたの人生の経済速度] [人生も一定のスピードがないと舵がきかない]、等々は次のホームページに掲載することにする。科学の法則こそ宇宙の法則であり、私の提唱する新しい精神世界、真実の宗教を世にもたらす権威として、世に遺したい思いを理解していただきたいと思います。

 


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