昔の日本は男尊女卑の制度があり、一家の亭主は絶対者の位置にあって家族の上に君臨しているかに見えた。しかし反面、家族の庇護者としての絶対の責任をも負わされ、家族の生活を守るために必死で働き、妻は家庭にあって炊事、洗濯と掃除、衣服の補修に精をだし、多くの子供を育てるために節約を旨として、内助の功を尽くした。

 しかし戦後の自由主義の中に、男女平等を標榜したときから、戦後強くなったものとして女性の靴下と女性があげられ、職場はおろか政治の世界にまで女性が進出して、男尊女卑のかけらもなくなった。

 だが、それで女性は本当に幸せになったのだろうか?戦後はそれが行き過ぎて女尊男卑のまっただ中で、女が強く男が弱く、そのため男子は頼りきれない存在と化した。

 ほん数年前の話だが、男女平等のジャーナリストの世界では、男と女が共通の利害関係によって一つの住まいに住むが経済は別で、相手の世話もせず、子供も産まないことを条件で同棲を始めるのが流行りだという。

 これはあたかも女性有利に見えるが、深く考えると全くの男性有利であり、結婚ではなくあくまでも契約なので、男性は次々と新しい女性と契約するが、女性は年齢と共に契約する男性がいなくなり、女性が高年齢になればなるほどその事に気づいて愕然となる。

 しかも男性が女性を選ぶのではなく、女性が男性を選ぶ時代なので、女性が男性化し男性が女性化して、頼りになる男性が少なくなり、男とは何か?男の強さとは何か?といったものも誤った認識をして、アメリカの一部の男が、体に太い鎖を巻きつけ、手に持ち、服に尖った金属を付けた装束を身に纏って徘徊するが、善を擁護し悪を排するといった、男の正義感や義務感によって強くなった男と違い、我が身を犠牲にすることはなく、自分より強い男に出会えば一目散に逃げても恥ではない。

 しかも言おう。コマの芯に二本の軸があるコマは回るだろうか?家庭で男女双方が主権を持てばこうなり、まして子供に舐められた女性が一家の中心なら、父の威厳が地に落ちて、子供は怖いもの無く野放図な育ち方をするだろう。

 どうだろうか?自己中心の自由主義は義務なく自己主張が蔓延してアメリカを蝕み、男女平等は育つ子供たちにわがままを植つけて、拳銃で生徒を撃ち殺し、性は紊乱し、何が善で何が悪かの判断すら薄い。自由の名のもとに、善悪正邪の規範を明らかにしないからだろうか。

 


LEVEL5  前ページへ 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14.  次ページへ

HOME   総合目次   プロフィール    ENGLISH
ページのトップへ戻る